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そろばんの知識公開

そろばんの歴史:中国から日本へ、そしてコンピューターの時代になぜ日本はそろばんを教え続けるのか

お子さんの机の上にあるそろばんには、日本で400年以上、さらにさかのぼれば中国でもっと長い歴史があります。その歴史を知ると、保護者のみなさんがよく抱くとても現実的な疑問に答えることができます。世界有数の計算機・コンピューターの生産国である日本が、なぜ今も小学校の算数にそろばんを取り入れ、放課後には何千ものそろばん教室があるのでしょうか。

まとめ

そろばんは16世紀の終わりに中国から日本へ伝わり、江戸時代の寺子屋で「読み・書き・そろばん」という基本の力としてたちまち広まりました。日本人は中国の上2珠・下5珠のそろばんを、上1珠・下4珠のそろばんへと改良しました(1938年に標準化)。よりコンパクトになり、一つの数の置き方が一通りだけになったことで、そろばんの像を頭に描いて計算する暗算(anzan)への道が開かれました。そろばんの検定は1928年から続いています。1970〜80年代の全盛期のあと、そろばんは消えることなく役割を変えました。計算の道具から教育の道具へ。今では小学3・4年の算数の授業にあり、日本の子どもの習い事の中でも特に人気のある一つです。

そろばんが生まれる前の計算具

人類はとても早い時期から計算具を使ってきました。古代ローマには溝の中に玉を動かす金属製の計算具があり、多くの文明では線を引いた盤の上に小石を置いて数えていました。けれども、枠があり、軸(桁)に珠を通した計算具、つまりそろばんの直接の祖先は中国の計算具で、スワンパン(算盤)と呼ばれます。スワンパンは中国でおよそ12〜16世紀ごろから広く普及し、程大位の数学書『算法統宗』(1592年)が、その使い方を伝える最も重要な資料です。スワンパンの一つの桁には上に2つの珠(1つ5の値)と下に5つの珠(1つ1の値)があり、十進法だけでなく、当時のはかりで使われていた十六進法の計算にも対応していました。

ベトナムでも、中国式の計算具が何世紀にもわたって商人や医師に使われてきました。珠をパチパチとはじく計算具は、20世紀の終わりごろまで、漢方薬の店や雑貨店でおなじみの光景でした。

そろばん、日本へ:16世紀

計算具は交易の道をたどって、室町時代の終わり、およそ1570〜1590年代に、中国との交易港を通じて日本に入ってきました。日本に残る最も古いそろばんは、名高い武将・前田利家のものとされ、16世紀の終わりのものです。形はまだスワンパンと同じで、上に2珠、下に5珠があります。

そろばんが日本に根づいたのは、本の力によるものです。1622年、「日本の算術の父」と呼ばれる毛利重能が、そろばんでのわり算を教える『割算書』を出版しました。その弟子の吉田光由は、1627年に『塵劫記』(じんこうき)を書きました。ふつうの人のための数学の本で、両替、田畑の面積の計算、遺産の分け方など、暮らしの中の問題を通してそろばんでの計算を説明しています。『塵劫記』は200年以上にわたって何百回も刷り直され、江戸時代屈指のベストセラーになりました。この本のおかげで、そろばんは商人の店先から、一つひとつの村へと広がっていきました。

「読み・書き・そろばん」:江戸時代の寺子屋

江戸時代(1603〜1868年)の日本には、寺子屋のネットワークがありました。庶民の子どものための小さな学びの場で、お坊さんや武士、村の学のある人が教えることが多くありました。寺子屋で身につける3つの基本は読み・書き・そろばん、つまり読むこと、書くこと、そろばんで計算することです。19世紀の半ばには、日本の庶民の読み書き・計算の力は世界でもトップクラスにあり、そろばんはその土台の一つでした。

今の日本式のそろばん教室のあり方、つまり始まりのあいさつ、正しい姿勢で座ること、自分で道具を準備すること、こつこつと練習を続けることは、寺子屋にルーツがあります。日本人にとって、そろばんは単に速く計算する方法だったことは一度もありません。学ぶ姿勢を育てる方法なのです。

日本人による改良:2・5珠から1・4珠へ

これはそろばんの歴史で最も大きな転換点であり、そろばんがほかのどの計算具とも違う理由でもあります。スワンパンは上に2珠、下に5珠あるので、一つの数をいくつもの方法で置くことができます(5は上の珠1つでも、下の珠5つでも表せます)。19世紀に日本人は上の珠を1つ減らし、1930年代にはさらに下の珠を1つ減らしました。1938年、文部省の国定教科書が正式に上1珠・下4珠のそろばんを採用し、それ以来これが標準になりました。

中国の計算具スワンパン(上2珠・下5珠)と日本のそろばん(上1珠・下4珠)で、同じ2026を表した比較図
同じ2026でも、スワンパンには使わない珠がたくさん残り、そろばんには余分な珠がありません。そろばんでは0から9までのどの数も、置き方はちょうど一通りだけです。

5珠1つと1珠4つなら、0から9までのどの数も、見た目はちょうど一通りになります。単純に聞こえますが、その効果はとても大きなものでした。そろばんが頭の中に思い描けるものになったのです。学ぶ人は目を閉じて珠を「見て」、本物のそろばんがなくても計算できます。そろばんの像を使った暗算(anzan)はこの改良から生まれ、今日まで日本のそろばん教育を特別なものにしています。そろばんのつくりや数の置き方は、そろばんとは?で詳しく見ることができます。

1928年からの検定と、1946年の計算機との対決

1928年、日本商工会議所が初めての珠算能力検定を行いました。武道と同じように級と段があり、10級から1級へ、さらに段へと進んでいきます。この仕組みは今も続いており、KSCがレベル2で検定形式の試験を行うときの手本にもなっています。

そろばんの最も有名なエピソードは、戦争が終わってまもない1946年11月12日、東京で起こりました。米軍の新聞が、そろばんを持った日本の郵便局員・松崎喜義さんと、当時最新の電気計算機を使うアメリカ兵との対決を企画したのです。たし算、ひき算、かけ算、わり算、そして総合問題の5回戦で、そろばんが4対1で勝ちました。負けたのはかけ算だけでした。この話は何十年も語り継がれてきましたが、それは計算具が機械より速いと言いたいからではありません。機械にはないもの、つまりそろばんに熟達した人は自分自身の頭で計算している、ということを伝えるためです。

全盛期、電卓、そして役割の変化

戦後、そろばんは銀行員や経理担当者、お店で働く人にとって欠かせない仕事の技能でした。検定の受験者数は増え続け、1980年ごろには日本商工会議所の検定だけで年間200万人以上という最高記録に達しました。当時の日本の子どものほとんどが、一度はそろばんを手にしたことがあったのです。

やがて1980年代に電卓が、1990年代にはパソコンが普及しました。そろばんは仕事での計算道具としての役割を失い、受験者数は大きく減りました。計算尺のようにそろばんも消えてしまうだろう、と多くの人が予想しました。しかし、そうはなりませんでした。そろばんは役割を変えたのです。大人の道具から、子どもの教育の道具へ。その理由は、コンピューターでは代わりができないもの、つまり頭の中に数のイメージをつくる過程、集中力、そして毎回の授業で育つ学ぶ姿勢にあります。

1968年からは、8月8日が日本のそろばんの日になっています(「8・8」が珠をはじく音「パチパチ」に通じるため)。フラッシュ暗算、つまり画面に次々と表示される数字を頭の中のそろばんでたしていく競技も、この時期に日本で生まれ、人気の競技種目になりました。

今の日本の教育の中のそろばん

  • 国の教育課程の中で:そろばんは、文部科学省(MEXT)の学習指導要領で小学3年と4年の算数に入っています。日本の小学生はみな、学校でそろばんの数の置き方と基本のたし算・ひき算を学びます。
  • 放課後:日本中で何千ものそろばん教室が開かれています。そろばん、水泳、英語は、日本の子どもの習い事の上位3つとしてよく挙げられます。速く計算できることよりも先に、学ぶ姿勢のためにそろばんを選ぶ家庭も多くあります。
  • 研究:日本で行われた脳画像の研究では、暗算に熟達した人は計算するときに言語の領域ではなく、視覚・空間を処理する領域を使っていることが示されています。また熟達した人は、ふつうの人よりもずっと長い数字の列を覚えられます(Hatano & Osawa, 1983)。詳しくはそろばんの効果をご覧ください。
  • 世界へ:1990年代から、日本のそろばんの指導法は多くの国へ広がり、「日本のそろばん」は日本政府が海外へ紹介する教育モデルの一つになりました。

1976年の愛知から2022年のハノイへ

私たちの物語は、その歴史の小さな枝の一つです。1976年、森田家は日本の愛知県で最初のそろばん教室を開きました。それから50年、こどもスクールは愛知と静岡に約90の教室を持ち、3世代の生徒にそろばんを教えてきました。2022年、一家の3代目がその指導法と教材をそのままハノイに持ち込み、Kodomo Soroban Centerを開きました。そこから小学校でのそろばんクラブも始まりました。2026年には、森田グループの「ベトナムにおける日本式そろばん教育と指導者育成」プロジェクトが、文部科学省(MEXT)のEDU-Portニッポン応援プロジェクトに選ばれました。

お子さんが席について、そろばんを0に払い、「お願いします」と言うとき、それは400年前に寺子屋の子どもたちがしていたことと同じです。だから私たちは、これを単なる日本のそろばんではなく、日本式のそろばんと呼んでいるのです。

年表

時期できごと
12〜16世紀スワンパン(上2珠・下5珠)が中国で普及。『算法統宗』(1592年)
16世紀の終わり交易の道を通じて計算具が日本へ
1622年・1627年毛利重能の『割算書』、吉田光由の『塵劫記』。江戸時代を通じて売れ続けた数学書
1603〜1868年寺子屋で庶民の子どもに「読み・書き・そろばん」を教える
1928年初めての珠算能力検定(級・段の仕組み)
1938年国定教科書が上1珠・下4珠を採用し、今のそろばんが誕生
1946年東京での対決で、そろばんが電気計算機に4対1で勝利
1980年ごろ最盛期:検定の受験者が年間200万人以上
1976年森田家が愛知で最初のそろばん教室を開く(こどもスクール)
現在小学3・4年の算数にそろばん。放課後には何千もの教室。フラッシュ暗算
2022年・2026年ハノイにKodomo Soroban Center。プロジェクトがMEXTの応援プロジェクトに選定(EDU-Portニッポン)

よくある質問

そろばんはどこで生まれたのですか?

そろばんは中国の計算具(スワンパン)の日本版で、16世紀の終わりに日本へ伝わりました。日本人が上2珠・下5珠から上1珠・下4珠へと改良し、1938年に標準化されました。

そろばんと中国の計算具はどう違うのですか?

スワンパンは上に2珠、下に5珠あり、一つの数をいくつもの方法で置くことができます。そろばんは上に1珠、下に4珠で、0から9までのどの数も置き方が一通りだけなので、頭の中に思い描きやすく、これが暗算(anzan)の土台になっています。

日本人は今もそろばんを使っているのですか?

仕事では使っていません。1980年代から計算機に置き換わりました。けれども教育の場では使われています。そろばんは日本の小学3・4年の算数の授業に入っており、放課後のそろばん教室も何千と続いています。その価値が、集中力、頭の中の数のイメージ、そして学ぶ姿勢にあるからです。

そろばんの検定とは何ですか?

日本商工会議所が1928年から行っている検定の仕組みで、級(10級から1級へ)と段に分かれています。試験は見取算(数の列のたし算・ひき算)、かけ算、わり算、暗算などです。KSCのレベル2は、この検定の形式に沿って練習します。

無料体験で、そろばんを試してみませんか

ハノイ・Vinhomes Gardenia のセンターで、1クラス3〜5人、1回70分。日本で教えているのと同じ方法です。電話・Zalo 096.802.8484。

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Kodomo Soroban Center 講師チーム

この記事は Kodomo Soroban Center の講師チームが、こどもスクール(日本・1976年からそろばん教育)の指導法と教材にもとづいて書いています。センターはハノイ市教育訓練局の認可を受けており、私たちの事業は文部科学省の EDU-Portニッポン応援プロジェクト(2026年度)に採択されています。

私たちについてEDU-Portニッポン教育活動の認可

株式会社森田グループ(日本)のグループ会社1976年から愛知県でそろばん教育 · こどもスクール 約90拠点

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